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道鏡のなんJまとめ!ラスプーチンやいい人など噂の真相も紹介

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道鏡といえば、奈良時代の僧侶でありながら、女帝・称徳天皇(孝謙天皇)の寵愛を受けて絶大な権力を握り、皇位を狙ったとされる人物。

歴史の教科書では「悪僧」として描かれることも多く、平将門、足利尊氏と並んで「日本三大悪人」の一人に数えられることもあります。

しかし、近年ではその評価を見直す動きもあり、インターネットの掲示板「なんJ」などでは、様々な憶測やネタとして語られています。

目次
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「道鏡」のなんJ・ネットの声まとめ

インターネット、特に「なんJ」界隈では、道鏡は歴史上の人物の中でも特に話題に上がりやすい一人です。

そのスキャンダラスなイメージや、後述する「巨根伝説」などが、面白おかしく語られる要因となっているようですね。

「道鏡に崩御崩御と称徳言い」

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これは、江戸時代に詠まれた川柳の一つで、称徳天皇と道鏡の親密な関係を揶揄したものです。

称徳天皇が道鏡に夢中になるあまり、政治が疎かになったり、あるいは道鏡の意のままに操られたりしたのではないか、という当時の人々の想像が込められているのかもしれません。

「崩御」という言葉を繰り返すことで、天皇の権威が揺らいでいる様子や、男女関係のもつれを面白おかしく表現していると考えられます。

なんJでは、この川柳を引用して、二人の関係性を茶化したり、歴史上のゴシップとして楽しんだりする様子が見受けられます。

歴史上の人物とはいえ、人間味あふれるエピソードとして語り継がれているのですね。

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「道鏡って坊さん面した俗物やと思ってたんやがほんまはちゃうんか?」

これは、道鏡に対する従来の「悪僧」というイメージに疑問を呈する声ですね。

教科書などで語られる道鏡像は、どうしても藤原氏など、道鏡と対立した勢力によって記された史料に基づいていることが多いのです。

そのため、道鏡の行いが実際よりも悪く書かれている可能性がある、というわけですね。

近年では、道鏡は実は学識豊かで有能な僧侶であり、称徳天皇を支えようとした純粋な気持ちがあったのではないか、という再評価の動きも出てきています。

なんJでも、こうした新しい説に触れて、「もしかしたら道鏡って、私たちが思っているような悪い人じゃなかったのかも?」と考える人がいるのは自然なことだと思います。

道鏡ってどんな人だっけ?

道鏡(どうきょう、生年不詳 – 772年)は、奈良時代の法相宗の僧侶。

俗姓は弓削氏(ゆげし)であるため、弓削道鏡とも呼ばれます。

孝謙上皇(後の称徳天皇)の病気を治したことから寵愛を受け、政治の世界で急速に台頭。

太政大臣禅師、さらには史上初の「法王」という最高位にまで昇りつめ、仏教を中心とした政治を行いました が、皇位を狙ったとされる「宇佐八幡宮神託事件」を引き起こしたとされ、称徳天皇の死後は急速に権力を失い、下野国(現在の栃木県)の薬師寺へ左遷され、その地で没しました。

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「三本足で有名な道鏡」

これは、道鏡にまつわる有名な俗説の一つ、「巨根伝説」を指しています。

道鏡は並外れて立派な男性器を持っていたため、称徳天皇を虜にした、という話ですね。

江戸時代の川柳にも「道鏡は 座るとひざが 三つでき」というものがあり、これは道鏡の男性器が非常に大きかったことを暗に示していると言われています。

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「道鏡、平将門、足利尊氏:日本三大悪人」

これは、歴史上、特に天皇家に逆らったとされる人物をまとめた呼称です。

平将門は関東で「新皇」を名乗り、足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻しました。

そして道鏡は、称徳天皇の寵愛を背景に皇位を狙ったとされています。

この「三大悪人」というレッテルは、特に皇国史観(天皇中心の歴史観)が強かった明治時代以降に定着したと言われています。

「道鏡の陰、猶ほ不足に思し召されて薯蕷を削り…」

これは、『古事談』という平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて成立した説話集に記されている逸話ですね。

称徳天皇が道鏡の男性器に満足できず、山芋を削って張形(今でいう大人のおもちゃのようなもの)を作って使っていたところ、それが体内で折れてしまい、大変なことになった、という内容です。

この話は、称徳天皇の性的な奔放さや、道鏡との関係の異常さを強調するために創作されたと考えられています。

なんJなどでは、この逸話を面白おかしく取り上げ、称徳天皇のキャラクターを際立たせたり、道鏡の「巨根伝説」と結びつけたりするような書き込みが見られます。

「令和の道鏡」

これは、現代の特定の人物(小室圭さん)を道鏡になぞらえて呼ぶ言葉です。

これは、道鏡が女帝の寵愛を受けて異例の出世を遂げ、国政に大きな影響を与えたという故事を踏まえていると考えられます。

こうした比喩は、対象となる人物への批判や揶揄を含む場合が多いため、使用には注意が必要です。

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道鏡のラスプーチンやいい人など噂はなぜ?

道鏡については、「日本のラスプーチン」と評されたり、「実は悪人ではなかったのではないか」という「いい人説」が囁かれたりと、様々な噂や評価も存在します。

日本のラスプーチンなの?

まず、「日本のラスプーチン」という評価について考えてみましょう。

ロシア帝国末期にニコライ2世とアレクサンドラ皇后の寵愛を受け、国政に介入した怪僧ラスプーチンと道鏡には、確かにいくつかの共通点が見られます。

以下は、道鏡とラスプーチンの共通点を比較した表です。

項目道鏡ラスプーチン
時代奈良時代(8世紀)帝政ロシア末期(19世紀末~20世紀初頭)
宗教的背景仏教僧侶(法相宗)ロシア正教の祈祷僧
権力者との関係孝謙天皇(称徳天皇)の寵愛を受け、政治に深く関与皇后アレクサンドラの信頼を得て、皇帝ニコライ2世の政策に影響を与える
治療の逸話孝謙天皇の病を治療し、信頼を得るアレクセイ皇太子の血友病を祈祷で改善させたとされる
政治的影響力太政大臣禅師や法王に任命され、仏教を中心とした政策を推進皇帝一家への影響力を背景に、政治人事や政策に介入
批判と反発権力を握りすぎたとして藤原氏などから批判される皇帝への影響力が強すぎるとして貴族や政治家から非難される
スキャンダル称徳天皇との関係や宇佐八幡宮神託事件が問題視される皇后との不適切な関係の噂や、酒乱・淫乱の生活が批判される
失脚の経緯宇佐八幡宮神託事件をきっかけに失脚し、下野薬師寺に左遷される貴族たちによる暗殺(毒殺、銃撃、溺死)で命を落とす
歴史的評価「日本三大悪人」の一人とされるが、近年では再評価の動きもある皇室を混乱させた「怪僧」として批判されるが、神秘的な人物としても語られる
俗説・伝説「巨根伝説」や称徳天皇との関係が後世に脚色される「毒薬も銃弾も効かない」などの壮絶な暗殺の逸話が語られる

ラスプーチンはシベリアの農民出身、道鏡も中央の貴族とは言えない地方豪族の出身と考えられています。

二人とも、宗教的なカリスマ性や特殊な能力(ラスプーチンは皇太子の血友病を抑える力、道鏡は天皇の病を癒す力)によって最高権力者に近づき、絶大な信頼を得ました。

ですが、その急激な台頭と影響力は、既存の貴族や官僚たちの反感を買い、最終的には失脚(道鏡)あるいは暗殺(ラスプーチン)という結末を迎えました。

道鏡は本当はいい人なの?

道鏡の悪評の主な根拠である『続日本紀』は、藤原氏の意向が強く反映された史書であるため、その記述を鵜呑みにせず、客観的に再検証しようという動きが出てきました。

道鏡が私利私欲のために民衆を苦しめた、あるいは国を大きく傾けたといった具体的な証拠は、実はあまり多くないようです。

むしろ、仏教を篤く信仰し、学識も豊かだったという記録も。

称徳天皇自身が、後継者問題や藤原氏の専横に対抗するために、道鏡を政治の表舞台に引き上げたという見方も出てきています。

その場合、道鏡は天皇の意向に沿って行動した忠臣であった可能性も考えられるのです。

また、道鏡の政策の中には、百姓の小規模な開墾を許可するなど、一般民衆に配慮したと見られるものも存在します。

ここまでの内容を踏まえると道鏡は単なる「悪僧」ではなく、複雑な時代の流れの中で翻弄された人物、あるいは有能な宗教家・政治家としての一面も持っていたのではないか、と考えられるようになってきたのです。

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